【進化のもつ不完全さ】進化はその場しのぎに過ぎない?!「なぜ僕たちは病気になるのか」

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38億年前に、全ての生物の祖先である単細胞生物が地球上に誕生しました。そこから、彼らは地球環境のあらゆる変化に対応しながら進化し、ついには私たちヒトへと進化しました。進化というと、地球上に多様な生物をもたらし、”合理的でかつ、美しく洗練されたもの” という印象が強いかもしれません。しかし、実は、進化とは意外にも”ズボラなもの”なのかもしれないというのが今日の話です。

 

進化とは

ダーウィンの進化論(1859年『種の起原』)によれば、進化とは次の二つの連続によるものだということです。環境の変化に応じた個体の突然変異自然淘汰。つまり、環境に応じて、より有利な変化を遂げた生物は生き残り、そうでないものは淘汰されていくということ。少し小話ですが、最近まで この個体に起こる変異=遺伝子の突然変異は完全なランダムによって起こると考えられていました。しかし、実際のところ遺伝子は完全にランダムに変異を起こすわけではないことが分かり始めているようです。どういうことかというと、生き残りに必要な遺伝子には変異が起こりづらく、そうでない遺伝子には変異が起こりやすくなっているそう。おそらく、そのような制御を行う分子機構が存在しているのでしょう。

さて、このように自然界を支配している進化ですが、果たして進化は”理想的な生物”を目指して進んでいるのか?と言われれば、実はそうでもないのです。むしろ、進化とは、環境の変化に対する「その場しのぎの変化」の集積に過ぎないのです。だから、意外にも多くの矛盾を残すことになります。私たちの身体においてもそうです。

進化が残した矛盾

分かりやすい例の一つに、高齢者の「誤嚥」があります。私たちの遠い祖先たちは遥か昔、水中でエラ呼吸をして暮らしていました。しかし、彼らが陸に上がる時、エラ呼吸ではなく、肺が必要になりました。実は、この肺はもともと消化器官から分岐した器官なのです。よって、食べ物の通り道と空気の通り道が喉頭のあたりで交叉するようになります。霊長類であるチンパンジーたちには「誤嚥」はさほど多く起こりません。喉頭の位置が高いからです。

出典:http://nsi.hateblo.jp/entry/20161228/1482936249

私たちヒトは二足歩行(立位)になった上に、言葉を話してコミュニケーションをとるようになります。この時、喉頭が高い位置のままだと言葉を発声しにくいということで、喉頭の位置が下がってきたと言われています。しかし、このままでは食べ物が肺に入ってきてしまいやすくなります。そこで、食べ物を飲み込むときは喉頭蓋と呼ばれるフタが反射的に気道の入り口をうまく塞ぎ、食べ物を食道の方へ通すという仕組みがつくられました。ところが、高齢になると、この反射が鈍くなり、いわゆる「誤嚥」が起こりやすくなってしまうのです。この一連の流れを見ても、いたるところにトレードオフが存在しており、私たちが優れた設計図にしたがって進んできたとは言えません。

壊血病や痛風、糖尿病といった病気たちも進化が生み出した病気と言われています。壊血病は、ビタミンCの欠乏によって引き起こされる病気で、歯茎からの出血や皮膚の吹き出物、関節痛などの症状が見られ、ときには死に至ることさえもある恐ろしい病気です。これは、ビタミンCが欠乏すると、私たちは体内の結合組織の主成分であるコラーゲンを十分に生成することができなくなるからです。ただ、ありがたいことに、壊血病に対する治療はさほど難しくありません。高濃度のビタミンCを投与すれば良いのです。私たちは、体内でビタミンCを合成することができないのです。だから、外から摂取するしかありません。

ところで、自然界のほとんどの生物は壊血病に悩むことがありません。多くの生物は、体内でビタミンCを合成できるからです。驚くべきことに、私たちも遥か昔はビタミンCを体内で合成できていました。しかし、進化の途中でこの能力を失います。具体的には、ビタミンCを生成する過程上で重要である GULO と呼ばれる酵素を生成する能力を失いました。他のほとんどの生物たちが、この GULO と呼ばれる酵素を生成する遺伝子を持っています。例えば、ウサギは冬の間にはこの GULO の生成酵素がフル稼働します。ヤギなんかは、ストレスを受けたりすると GULO の生成能力が飛躍的に上がるそうです。クラゲでさえも GULO を生成する遺伝子を持っています!

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Jellyfish

なぜ、私たちは GULO を作り出す遺伝子を失ったのでしょうか?進化です。遺伝子に突然変異が起きたのです。ちなみに、なぜそれがわかるかというと、今でもその遺伝子がヒトの遺伝子上に残っているからです。しかし、現在のそれは”偽遺伝子”に過ぎず、ただ存在しているだけで、実質的に機能しません。ビタミンCが欠乏するとヒトは死んでしまいます。となれば、なぜ 私たちは ビタミンCの生成能力を捨てたのか?ある仮説によれば、GULO 遺伝子を捨てることで私たち人類に何かしらの利益があったからではないか、と考えられています。

GULO の合成過程において、その副産物として過酸化水素と呼ばれる物質が生成されます。過酸化水素は体内で分解されるときにフリーラジカルと呼ばれる分子を生成します。これは、細胞を損傷させたり様々な病気を引き起こします。この分子は、老化の原因の第一人者であり、アンチエイジングの敵でもあります。フリーラジカルは生成されないに越したことはありません。つまり、これはビタミンCを生成できないことの、ささやかなメリットであると言えます。

痛風にも同じような流れがあります。進化の過程で、私たちヒトは尿酸を体内で分解してくれる酵素の遺伝子を失います。痛風の原因となる尿酸ですが、実は尿酸には抗酸化作用があるのです。どういうことかというと、私たちの祖先である霊長類は、昼間、木の上で生活することで強い紫外線に多く晒されるようになりました。しかし、進化の過程で既に抗酸化作用を持つアスコルビン酸と呼ばれる物質を合成する酵素を失っていました。だから、尿酸を失わないように、尿酸を分解してしまう酵素を捨てたということです。

糖尿病や、その他の病気(統合失調症などの精神障害や発達障害など…)も同じように、進化の過程で様々なトレードオフが積み重なった結果、生じた病気であると言えます。

 

このように見てみると、進化とはその場その場で起きた様々な不具合に対して、私たち生物が素早く対応していくという形で生じてきた変化の累積の結果であると言えそうです。ただ、その対応は意外にも ”その場しのぎ” であることが少なくないのかもしれません。

 

進化という言葉に対して、これまで漠然と憧れを抱いていましたが、今回勉強してみると、進化の持つ意外な”粗さ”を目の当たりにしました。でも、進化ってワードはなんか好きです。

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