
とにかく凄い!!7つの名刺を持つ”複業家”「自分にウソつかない。まっすぐ生きる。」
本日は、時代を先取りする生き方をされている札幌出身の”複業家”である、長谷川 英幸さんに取材させていただきました!とにかくもの凄い方でした!!先日、”北海道の楽しい学生100人”というイベントにて初めてお会いさせていただいた時から、なとなく凄い人なんだなぁと思っていたのですが、実際にやっぱり凄い方でした。まさに、時代を先取りする生き方、働き方をされています。そして、それは僕自身の理想とする生き方でもあります。
――本日は本当にお忙しい中、お時間割いていただき、ありがとうございます。本日はよろしくお願い致します。
こちらこそよろしくお願いします。
――先日の”北海道の楽しい学生100人”にて、長谷川さんの講演をお聞きして、ホントに凄い人だなって思いまして。僕も、長谷川さんのような生き方がしたいと思っているんです。思うに、長谷川さんはある意味、時代を先取りするような生き方をしていると思うんです。講演でもおっしゃっていましたが、現在は、いわゆる本業といったものを持たずに、副業、副業…。といった形で同時に複数の仕事を掛け持っておられますよね。ある意味、仕事というものに正副つけずにすべて本業と言いうか。ほんとに凄いなって思います。
あー。ありがとう。(笑)
――今回、取材の場所としてお呼びしていただいたこのラウンジですが、めちゃめちゃオシャレな空間ですね!長谷川さんはこのラウンジの運営会社の執行役員をされておられるということですが、ここでは実際にどのようなことをされているのでしょうか?
ここ「The World Lounge Co & Co」は、いわゆる国際交流ラウンジですね。もっと詳しく言うと、現在8つの事業がここに集約されていて。留学生をはじめとする外国人の方たち向けの日本語学校だったり、英会話スクールだったり、留学・海外インターンを支援していたり。あとは、いわゆるコワーキングスペースやカフェ・バーとしても機能していて。今は札幌と京都で展開しているんだけど、これから、世界に進出しようとしているところで。
――そうなのですね!凄いです!!でも、なぜ、札幌と京都なのでしょう?東京とかではなく、敢えて札幌、京都ということなのでしょうか?
外国人が日本で興味を持ってくれるところって北海道、札幌だったり京都だってことが大きいかな。それで、今は札幌、京都の2店舗で展開しています。そういった中で、自分はいわゆる人事やマーケティングの部分をやらせてもらっています。新事業へ進むときに一緒に事業戦略を練ったり…。大企業って人事部門とか、マーケティング部門ってあるじゃないですか。でも、中小企業は必ずしもそういった部門が会社の中にあるわけじゃなくて。僕は、大企業におけるそういった部門に相当する仕事を機能としてサポートさせてもらっているって感じでしょうか。
一緒に仕事をする人は家族
――なるほど!つまり、ある意味、コンサルティング的な立ち位置でもあるのでしょうか?
うーん。確かにそういう面もあるね。だけど、僕はコンサルだとは思っていなくて。コンサルってあくまで外部からの携わり方だと感じていて。というのは、コンサルって会社の外の人間がその会社の経営に関わっていくっていうスタンスじゃないですか。そうじゃなくて、僕は一緒に仕事をする人は家族だと思っていて。外部としてではなくて、あくまでもその会社の内部の人間として、一緒に経営や運営に関わっていく。より親身に、そして、より現場に直結するような形で仕事をしていく。たとえば、「あ、ここ汚れてるな」って思ったら自分で掃除するし、電話対応もしちゃうし。とにかく、インナーに身を置くってことを大切にしてる。
――なるほど。でもとても大変じゃないですか?というのは、長谷川さんはいくつもの事業にそのような形で携わっておられますよね。つまり、そのそれぞれに家族が存在するってことで、家族がたくさんいるということですよね。
そうそう。だから、送別会とか大変。(笑)それぞれの会社でそれぞれの送別会があったりして。
――そうですよね!(笑)
いま、名刺的には7枚用意していて。その他にもいろいろやっているんだけど。

――すげ~~!長谷川さんは現在、マルチにいろんなことをこなしておられますよね。マルチに生きてるというか。長谷川さんご自身、いつごろからそのような生き方になっていったのですか?
いわゆる、副業、副業…。っていうのは、会社員を辞めた2015年から。だけど、マルチにこなすっていう部分は、ユニクロ時代に鍛えられたというか、培われたと思う。もともと、マルチにやるっていうのが向いていたのもあると思う。
ユニクロの本社勤務時代では広告担当で。でも、そのときから、現場はとくに大切にしていた。で、当時は文字通り北海道から沖縄までが取引先で。全国650店舗のチラシ担当を僕一人が受け持ってた。それで、毎週1000人ぐらいの人たちとメールとかでやり取りしてた。とくに、月曜日の朝とかは毎週300通ものメールが一気に来て、それをひたすらさばいてた。
――マジっすか?!それだけの膨大な量のメールを一人でさばいてたんですか?!可能なんですか?だって、届くメールもそれぞれ全く異なる人たちから来るんですよね。途中で頭ごちゃごちゃになったりしませんでしたか?
しなかったね。誰からどんなメールが来て…。とか、ここまではメールを返していて…。とか全部頭の中に入ってた。それで、そういうのも全く苦無くできてた。あとは、他の様々なプロジェクトに顔突っ込んでた。とにかく、もともとマルチにこなすっていうのが好きだった。で、これはいつも話のネタにしてるんだけど、ユニクロを辞めたとき、僕の仕事が4人に分割されたんだよね。(笑)
――1人の仕事が4人に分割されたんですか?!凄いですね!!
そうそう。(笑)
ユニクロに入ったきっかけとは
――そもそも、ユニクロに入ろうと思ったきっかけは何なんでしょうか?
当時はなんも考えてなかった。(笑)女の子とおしゃべりしながら、のんびりバイトしたいな~って思ってて。
――完全にノリですか?(笑)
うん。ノリだね。100%ノリ。(笑)
――そうなんですね。(笑)そこから、ユニクロのトップ層に上りつめるまでにどのような変遷をたどったのですか?
ユニクロには9年間務めたんだけど、最初の1年目はバイト。2年目にはその店で店長になりました。3年目には札幌で新規オープンする店舗の店長に抜擢されて。4年目にエリアマネージャーとなって、広範囲な地域を任されるようになりました。5年目から本社のマーケティング部に異動となり、そこで広告マーケティング、とくにチラシマーケティングに携わるようになったんだよね。ユニクロでは、チラシはラブレターと言われるほど、チラシはマーケティング上非常に重要なものであると考えられてた。そういうこともあって、その頃から社長と直接打合せをするような仕事をするようになっていった。
――2年目にしていきなり店長になったんですか?!それって異例的というか、凄くないですか?!
そうだね。(笑)そこはすごく早かったと思う。
――なぜ、そんな驚異のスピードで店長になれたんですか?
そんときはすごかった。(笑)誰よりも早く、そして丁寧に仕事してた。一つ一つの仕事は単純で簡単。じゃあ、あとはやるだけって思ってひたすら仕事をこなしてた。店長にもランクがあるんだけど、バイト時代にすでに「君ならもう”新規店舗のオープニング店長”をやれる」って言われるくらいには仕事してた。自分がバイトとしてユニクロに入ったのは1999年の5月で、その年の3月に正社員として入ってきた120人を追い越す形でその一年後には店長になってて。
24歳のとき、札幌駅のエスタ店のオープニング店長を任されて。それで、そこから1年の間に全国650店舗の中で売上1位になったんだよね。当初は別な地方の店舗に配属される予定だったんだけど、札幌を離れたくなくて。それで本社に30回くらいメールして。(笑)
――30回ですか!(笑)
そう。「おれが絶対エスタ店の売上を上げてやる」って思ってて。そしたら、最終的に向こうが根負けして結局、エスタ店に配属されることになった。(笑)それで、実際にその一年後に売上が日本一になってた。で、そのとき、月給・ボーナスとは別に社長から直接、特別賞として新車が買えるような報酬が贈られたんだよね。(笑)
――すげ~~!
で、それはお店に贈られたものとして、ほぼすべてその職場の仲間たちとの飲み会に使った。(笑)
――すごいですね!!そのお金を自分のために使うのではなく、お店のために使うっていうのが素晴らしいと思います。それにしても派手です。(笑)
そうだね。(笑)
とがってた昔。根底は目的ベース
――その頃からすでにあらゆる面で現場を大切にしていたと言いますか、仕事における仲間を大切にされていたのですね。
そうだね。だけど、昔は今からは想像できないくらいとがってた時期があって。(笑)高校生の時とかはとくにそうだった。この前、ススキノのビルのトイレで高校時代の先輩とばったり会って、それでまあ、挨拶したんだよね。そしたら、すごいビックリされて。(笑)「お前、挨拶できるのか!(笑)」みたいな。とにかく、それぐらいとがってて。
――そうなんですか!?今の長谷川さんからは想像もできないです。
もともと、高校生になった頃は教師を目指してたんだけど、急に冷めてきて。大学の偏差値とかの理解ができてきちゃって。「教師もわりと普通の人がなっているのね」って思えてきちゃって。もともと勉強することも嫌いだったこともあって、教師を目指すのはやめた。それで、高校を卒業したあと、一年間フリーターをやった。
――なるほど。いままでお話を伺っていると、長谷川さんはあくまでも目的ベースで動いていらっしゃる気がしました。常に、それを意識されておられたのではないでしょうか?
そうかもしれない。中学生のときは結構勉強もできて、そこそこ成績もよかったから中学の進路指導で、先生に「お前は〇〇高校へ行け」と言われてたんだけど、「なんで学校とか先生の言いなりにならないといけないの?」って思って、わざわざランクをめちゃめちゃ下げたところを受けて、そこの高校に行った。でも実は、その高校に行った一番の理由は、そこの高校にハンドボール部があったからなんだよね。しかも結構強かった。当時、ハンドボールって今よりも結構マイナーで、ハンドボール部が無い高校の方が多かった。
人とのめぐりあい
とにかく、もともと自分はすごいとがってたんだけど、ユニクロという大企業に馴染めて、そこで仕事をすることができたのは、本当に運がよかったと思う。それはいろんな意味でだけど、一つはやっぱり人とのめぐりあいかな。自分がユニクロに入った当時は、まだ北海道にユニクロは5店舗しかなくて。そもそも、ユニクロって本社は山口県にあるんだよね。当時、西日本から北海道に進出するっていうのは、まさにユニクロにとっても大きなチャレンジで。そういう背景があって、北海道に来る人たちはみんなある意味チャレンジ精神を持っていたり、とにかくおもしろい人たちばかりで。それこそ開拓使みたいな。とくに周りの上司はみんな凄い人たちばっかりだった。もともと、ユニクロは大企業だし、その内部ってある意味体育会系というか、タテ社会的な要素が強かったりするはずなんだけど、北海道は違って。だからこそ、当時の自分も馴染むことができたんだと思う。優秀な仲間や上司たちに囲まれて、いい意味で目をつけてもらって、その中で育ててもらった。
――なるほど。運がよかったとおっしゃっていましたが、長谷川さんのそういったまっすぐな生き方や人柄こそが運を引き寄せていたのだと感じました。
うん。そうかも。自分にうそをつくことだけは絶対しなかった。嫌なものは嫌だし、やりたくないことはやらない。そういった意味でまっすぐ生きてきた。
――素晴らしいと思います。僕もそういう生き方がしたいですし、今もそうやって生きているつもりです。最後に、長谷川さんから今の僕に何かアドバイスくださいませんか!
本質的なことは全部一緒じゃんって思う。例えば医者も、医者として求められること、やるべきことってある程度分かっているわけで、だったらそれをとことん突き詰めてやるだけじゃんって思う。でも、意外とそれができない人が多いように思う。
――たしかにその通りです。ただ、ぼくは単に医者になりたくないんです。もっと言えば別に医者にこだわっていないというか。長谷川さんって様々なジャンルにおいてプロとして生きてるじゃないですか。ぼくも、医者というプロで完結したくないんです。いろんなプロになって初めて、それぞれがさらに高まっていくというか。マルチに生きたいんです。
みんな、何ができるか?ってところから出発することが多いと思うんだけど、おれは違って、何が嫌いか?ってところから考えるようにしていた。自分の中で何が嫌いで何をしたくないのか?っていう。つまり、それは好き嫌いの取捨選択というか。それで、結局自分が本当にやりたいことだけをやるように生きてきた。もちろん、大企業や大きな組織では、時にはやりたくないこともやらなきゃいけない場面もある。みんなが右向いてるときはお前も右向けみたいな。
――なるほど。長谷川さんもそういった場面では、やりたくないこともやっていたのですか?
一応ね。(笑)だけど、それも最小限にとどめてた。みんなが右向いてるときは左向いていたかったし、左向いてることの方が多かったと思う。だけど、今はやりたくないことは絶対やらない。基本的に、あくまで自分の裁量だけでやってる。ただ、色々な現場で自分に求められることがあって、それを返すようにしてる。これは意識していることだね。あとは、弱いものが強いものに勝つっていうのが好きで。そのこともあって、仕事の現場では、仕事がうまくできないやつを育てるように意識してる。仕事ができない人を仕事ができる人に変えてあげるというか。仕事ができない人って、そもそも、社長だったり上司が何を言っているのかとか、何を求めているのか、という部分が分からないってことが多くて。だから、そこの溝を埋めてあげるというか…。何が求められているのかとか、そいうい部分を丁寧に教えてあげるようにしてる。
ユニクロを辞めてから現在に至るまで
――なるほど。話は少し変わりますが、長谷川さんがユニクロを辞めてから、そのような現在に至るまでにどのような変遷をたどったのでしょうか?
ユニクロを辞めて直後は無職になったんだけど、そのとき、雑誌でたまたま起業したての人材紹介会社の広告を見つけて。すぐにその会社に連絡を取ったら、そこでブライダルの会社を紹介された。それで、そこの会社に勤めることに。その職場は自分にとてもフィットしていて。そこでは、ユニクロ時代に培われた経験やノウハウが必要とされていて、いろんな仕事をした。毎年、本当に全然違う仕事をしていた。
――毎年違う仕事をしていたというのは何か理由があるんですか?
いや、毎年同じ仕事は飽きるから。(笑)同じ仕事は一年だけって決めてる。
――凄いですね!!(笑)
それで、いろいろ仕事をしていく内に他社を支援する事業の立ち上げを任されるようになった。6年間その会社で勤めていて、「そろそろ一周ぐるっと回ったな」って思うようになった。それで、そこの会社を卒業した。そのタイミングで、自分の活動拠点である to.tomo-トトモ- を立ち上げて様々な企業のサポートを手がけるようになっていった。9年のユニクロ時代と6年間のブライダル会社での経験はとても大きくて、その間にいろんなジャンルの仕事や人々に出会えることができた。大企業で働くという経験もできて、中小企業での経験もできた。そんな中、同級生の声掛けで、彼が立ち上げて経営している Choi という立喰酒場の経営に関わるようになった。声を掛けてくれた彼は北大出身なんだけど、北大卒の起業家ってつながりが強くて、そのつながりで FULLCOMMISSION という会社にも執行役員として入ることになった。そこでは、主に4つの事業をやっていて、シェアハウス事業、ゲストハウス事業、インバウンド事業、コンサルティング事業を主に手掛けてる。あと、The World Lounge Co & Co のつながりも実はそこから。
――なるほど!まさに、常に人とのつながりや現場を一番大切にしている長谷川さんならではの生き方なのだということを改めて強く感じました。本日は、本当にお忙しい中ありがとうございました!ぜひ、今後ともよろしくお願い致します。
いえいえ。こちらこそありがとうございました。
最後に、本日お邪魔させていただいた、The World Lounge Co & Co の店内の様子。見てわかる通りめちゃめちゃオシャレです。家から歩いてすぐなので、今度絶対行きます。(笑)





