「迷ったら進む。直感を信じて。」ものまね芸人、起業家 そして作家として

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本日は、ものまね芸人であり、起業家であり、そして作家として活動されている「るみるみ」こと大島 留美子さん に取材させていただきました!るみるみさんとは、先日の”北海道 楽しい人100人”という講演会で初めてお会いしました。とても魅力的だったので、その場で取材のアポを取らせていただきました!

――本日は、お忙しい中取材をお受けしていただいて本当にありがとうございます!よろしくお願い致します!

いえいえ。よろしくお願いします。

――るみるみさんのことは、先日の”北海道楽しい人100人”で初めて知ったのですが、そこでのるみるみさんの講演を聞いて、凄い人だな~って思って取材させていただこうと思ったんです。…というか、ちょっと待ってください。呼び方「るみるみさん」でいいですか??汗

「るみるみさん」で大丈夫ですよ。(笑)もともと、昔からあだ名として「るみるみ」と呼ばれていたので、むしろ「るみるみ」の方がしっくりくるかも(笑)

――そうなのですね!それでは、「るみるみさん」でよろしくお願いします。それで、本日どうしてもお聞きしたかったことが、二つあって。一つは、ものまね芸人になった経緯。とくに、39歳からものまね芸人になられたという点が面白いなって思って。もう一つは、お地蔵さん作家として活動するようになったきっかけです。

ものまね芸人へ

ものまね芸人になったもともとのきっかけは「薬師丸ひろ子」に顔が似てるって言われてたことで。…「薬師丸ひろ子」って言ってわかるかな?当時、角川映画とかで凄い有名になった女優さんで、セーラー服と機関銃の「カ・イ・カ・ン」とか、「ちゃんリンシャン」とか…。私ぐらいの世代の人だったら知らない人はいないんじゃないかな。

――あの、「ちゃんリンシャン」って何なんですか?(笑)

リンス・イン・シャンプーってあるじゃない。で、”ちゃんと、リンスしてくれる、シャンプー”で、「ちゃん・リン・シャン」っていう。(笑)当時、テレビのCMで薬師丸ひろ子が宣伝していて。薬師丸ひろ子っていえば、この「ちゃんリンシャン」と「カ・イ・カ・ン」みたいな。

――おもしろ~(笑)

そうそう。それで当時、高校生の時に学際のステージで薬師丸ひろ子のものまねしたり。あとは、一時期バスガイドをやっていた時もあったんだけど、そこでものまね披露したり…。とにかく、最初はホントに遊び感覚でやってた。

――そうなのですね!でも、実際にものまね芸人になられたのが39歳のときなのですよね。なぜ、39歳なのでしょうか?

若いころにみんなに薬師丸ひろ子に顔が似てるって言われてたんだけど、それからしばらくいったん顔が似てるって言われなくなった。で、ちょうど39歳になる頃にまた集中して薬師丸ひろ子に顔が似てるって言われるようになって。ホント、会う人会う人に言われて…。そんなこともあって、じゃあ、テレビのそっくりさん番組に応募してみようってなって。完全にノリなんだけど。(笑)それで、応募してオーディションに行ったら、一週間後くらいに電話が来て、来てくださいってなったんです。それで、いざお台場へ行って、収録のスタジオへ。そのとき、「あ、こういう世界、楽しいな」って思って。それで、この最初の収録から約2ヵ月後に今度は向こうから電話が来て。今度は歌も歌ってほしいと言われたんです。もともと、歌を歌うのが好きでしたし、ぜひ、ということで、二回目の収録へ。

正直なめてました。(笑)もともと、歌も好きでしたし、人前に立ってしゃべったりすることには慣れていたつもりだったので、二回目の収録に対して特に何の準備もせずに行ったんです。まあ、いけるでしょみたいなノリで。(笑)それが、いざスタジオに入ってみると、カメラがたくさんあって、有名人もたくさんいて…。とにかく、その場の空気感に圧倒されて…。全然声が出なかった。スタジオ入るまで、まさか自分がこんなに緊張するわけないと思ってたんですけど、想像以上に緊張しちゃって。それで、帰ってきてからオンエアで自分の姿を見て、「酷い…。」って思って。すごく悔しかった。もっと練習とか準備しておけばって思いましたね。もっとできたのにって。とにかく悔しかった。

そこで、自分の中でなんかスイッチが入って。プロ意識に火がついたというか。それで、すすきののものまねパブ ”ガンダム”に入りました。そこで、人前で歌う訓練をしたくて。ちょうどそのころ離婚をしまして、シングルマザーになったんですけど、それと同時にものまね芸人として本格的にスタートしたっていう感じです。

――壮絶ですね…。ものまね芸人になった直接的なきっかけというのは、やっぱり、テレビ出演での悔しい思いだったり、という部分なのでしょうか?しかし、シングルマザーとなって、同時にものまね芸人としてもスタートして…。やはり、様々な面で不安はありませんでしたか?

そうですね。不安はたくさんありました。ただ、息子はむしろとても理解を示してくれて。ものまね芸人として活動していくことに対して、後押ししてくれたんです。それが、一番大きかったように思えます。

――息子さんが一番の理解者だったのですね。それはとても素晴らしいことだと思います。

そうやって、”ガンダム”で修行しながらものまね芸人として活動を始めたんですが、息子の高校受験の時期などが迫ってきて、もっと息子のそばにいてやりたいと思うようになりました。また、ちょうど、そのころ徐々に営業の話とかもちらほら増えはじめていて、それで、一年間働いた”ガンダム”を辞めてフリーランスになる決意をしました。

――なるほど。でも、一年間働いた”ガンダム”を辞めてフリーになることへの不安は大きかったのではないでしょうか?

たしかに、不安はたくさんあったし、覚悟は必要だった。けど、いろいろ考えて、息子と一緒にいることを選んだんです。不思議なことに、フリーになってから仕事が一気に増えていったんです。

――なぜ、フリーになってからの方が仕事が増えたのでしょう?

うーん。”断捨離”って言葉があるように、何かを捨てないと次に進めないことって多いと思う。ガンダム”を辞めることで、次に進めたんだと思う。たしかに、そこにはたくさん不安や心配があったけど…。どうなるかわからないけど、とにかく前へ進む。そう考えてた。”猪突猛進”。とにかく、やりたいと思ったことに突き進むというか。わたし、いのしし年なんだよね。これ結構関係あると思う。(笑)

――すごいです…。実は、僕もいのしし年なんです。(笑)なので、すごく共感できます。自分がやろうと思ったことには、とにかく好き進むというか。時にはリスクを考えずに。それで失敗することもありますが、やってみないと得られないものって大きいと思っていて。だったらやった方がいいなって。

あなたもいのしし年なんだ(笑)そうだね~。そうだと思う。印象的なエピソードがあって、お金が本当に無いときに地方に営業で呼ばれてて、そのとき電車の片道代しか持ち合わせていなかったの。でも、そのときは、「まあ、なんとかなるだろ。ギャラがでれば、それで帰れるし。」って思ってとりあえず行ったんだよね。

――え~~!マジっすか!?

うん。でも、電車に乗った後よく考えたら、ギャラをもらうのはその場で手渡しなのか、後日振り込みなのかとか確認してなくて。(笑)もし、後日振り込みだったらどうすんだろって思って。帰れないじゃんって。(笑)しかも、真冬に。まあ、そのときはその場で手渡しでギャラをもらえてから助かったんだけど。

――いや~、すごいです。(笑)しかも、真冬っていうのが、ほんとにヤバいです。

ね。(笑)でも、迷ったらやってみる。これは徹底してる。たとえ失敗したとしても、その時は辛いかもしれないけど、あとで話のネタになるしね。そう考えてる。今の話もそう。あとで笑い話になるから。とにかく、直感でやろうってなったら絶対にすぐやる。思いとどまらない。これはある意味、見切り発車ではあるんだけどね。

――いや、見切り発車って大事だと思っています。まず、やってみることってすごく大切なことだと感じます。僕も、思い立ったらすぐに行動に移すようにしています。あと、思ったんですけど、”捨てていかないと前に進めない”って、ある意味、恋愛にも似てるなって思いました。…すみません。完全に私事なのですが、いますごく悩んでることがあって…。

(~~ぼくの恋愛相談~~)

――すみません、完全に私事でしたが、本当にありがとうございます。自分自身の考えも整理できました。

いえいえ。(笑)

起業家として

わたし、芸人活動の他にも実は起業もしていて。ブライダル起業なんだけど。もともと、結婚式の司会業をやってたの。で、しばらくやっていたんだけど、いつからか凄く忙しくなって。ほんとに忙しすぎて、忙しさに埋もれていくうちに自分が司会を担当する式の新郎新婦の顔も覚えられなくなっちゃって。

――え~。そうなんですね…。

そう。一日の中にもいくつもの式の予定が入ったりして、何組もの新郎新婦の方たちと式の打ち合わせとかをしていると、だんだんわけわかんなくなってきて。本番にパッて扉が開くまで「あれ、今回の新郎新婦って誰だっけ…。」ってなって、扉が開いてようやく「あ~~。この人たちか!」みたいな。で、そんな自分が司会を務めていいんだろうかと思うようになったの。結婚式って人生の中でもやっぱりすごく大切な瞬間なのに、新郎新婦の顔も覚えられない自分がすごく嫌で、申し訳なくて。なんか違うなっていうか、やりがいが感じられなくなったり、気持ちがなかなか仕事に入らなくなっていった。それがすごく自分の中で嫌だなって思ったから、そこで司会業をいったん辞めようと思って辞めた。

それで、数年たって、ふと、また結婚式の司会業をやりたいなって思い始めたのね。

――それはまた、なんでなんでしょうか?

うーん。ちょうど子育てもひと段落ついて、自分の中にも余裕が生まれ始めたからなんだと思う。それで、そんな中、思い出したようにまた司会業やりたいなって。

最初、結婚式で司会してたときはちょうど、22歳ごろのことで、そのときは基本、新郎新婦の方がみんな年上で。(笑)だから、たぶん、すごく気を張っていたんだと思う。背伸びしていたというか。でも、また司会をやりたいなって思ったのが31歳ごろのことで、そのころは新郎新婦のほうが基本、みんな年下になってて。そうすると、自分自身の経験も活かせるし、何より新郎新婦たちとちゃんとコミュニケーションが取れるようになった。それに、新郎新婦たちに対して一種の愛情も感じるようになった。心から共感できるというか。

自分はまだそのときは司会しかやっていなかったんだけど、もともと企画することがすごく好きで。式の企画とかは結構、新郎新婦たちが持ってくることも多くて、でも、その中には、「これ絶対盛り上がんないって~」とか、「これはなんかなぁ~」って思うようなものも少なくなくて。そういうの見てると、自分だったらこうするのになぁ~って思うようになって。それで、自分も企画・プランニングをしたいって思ったの。ちょうどそのとき、そのころ頻繁に式に呼んでくれてたホテルが、「じゃあ、うちでちょっとやってみない?」って言ってくれて。そこからそのホテルではプランニングの勉強をさせてもらった。 その後、ご縁があったご夫婦さんの結婚式をプロデュースしたのが成功して。その勢いでそのまま起業しようと思って、実際に起業したの。

――そうなんですか!凄いですね!

でも、最初のころは、勢いで起業してみたは良いものの、人脈も何も無く…。って状態で、どうしよう~って思ってた。そもそも周りにカップルもそんなにいないしなぁって。じゃあ、カップルを作っちゃおう!ってなった。(笑)縁結びをしようと。

――なるほど~!凄いですね!結婚式とかの前にそもそも縁結びからやっちゃおうってことですよね。(笑)一体どこからそういった気持ちが湧き出てくるんでしょう?

私、若いころから何となくだけど北海道を活性化させたいって気持ちがあって。もともと、若いころに選挙カーに乗ってウグイス嬢やってたことがあったんだけど、そのとき、選挙カーで道内いろんなところを周って。そうすると、中には「町が死んでるっ!」って思っちゃうような町や村があって、そういうの見るとなんかわかんないけど、そういった町を活性化したい、町おこししたいって思ってたの。そういう気持ちが心の中にずっとあって、縁結びとかそういう活動に結びついていったんだと思う。それで、半年くらいかな、そうやってお見合いパーティーみたいな企画・開催を続けていて。でも、赤字続きで、借金がどんどん膨らんでいった。それでも、頑張り続けていたんだけど、やっぱり相当なストレスだったし、体にもかなり負担がかかっていたんだと思う。それで結局、いろいろなことも重なって入院することになっちゃって…。

――そうなのですね。

そのとき私は、入院しなくちゃならなくなったことを「ラッキー!!」と思ったの。「やっと休める!休む理由ができたんだ」って。

――え!!そうなんですか?!それはまた凄いですね。

うん。それまで、ずっとひたすら自分に無理してでも頑張り続けてきたから、やっと休める、っていう気持ちの方が強かった。

お地蔵さん作家へ

そうして入院生活が始まって、もともと絵を描くのが凄く好きだったから、絵を描こうって思って。それで、なんとなく絵を描き始めたんだけど、気づいたらお地蔵さんの絵を描いてて。

――もともと絵を描くのがお好きだったのですね。でも、なんでお地蔵さんの絵なんでしょうか?

なんでなんだろう。お地蔵さんって見ていたり、頭の中で思い描くだけで自然と落ち着いたり、癒されるなぁって思っていて、ほんとになんとな~くお地蔵さんの絵を描き始めた。それで、これまでお世話になった人たちに、お地蔵さんの絵を描いて送ったりしていたの。その人のイメージに合わせたお地蔵さんを描いてた。サーフィンやってた人にはサーフィンしてるお地蔵さんの絵とか。(笑)

――面白いですね~!イメージはどんどん湧いてきたんですか?

うん。イメージはすごい湧いてきた。絵を描いてる時が一番元気だったかも。すごく生き生きしてたというか。それで、そのままお地蔵さん作家としてデビューしたの。

入院中、自分のそれまでの人生をきちんと振り返る機会があって、なんで自分は今こうしてるんだろうって。いろんな局面で失敗もたくさんしてきて、じゃあ、なんで失敗したのかな、とか…。そこで、私は、自分の弱みをひとに見せられない人間だったんだなって思ったの。強がってた。あらゆる場面で。自分を自分の本来の能力以上によく見せたいというか。もともと、子どものころから親に全く甘えない子供だった。どんな決断も親に相談することなく、自分で決めちゃうような子供で。そんなこともあって、とにかく人に甘えるってことがすごく苦手になってたんだともう。そういう意味で、人とも距離を置いていたし、でもそのくせ周りには強がって見せてたり…。でも、それじゃいけないなって思った。入院して初めてそのことに気づけたの。だから、入院してしまったことは、私の人生の中ですごく重要な意味があるし、そのおかげで変わることができた。

――はるほど。入院という経験がなければ、今のるみるみさんはいないということですね。今日、これまでいろんな話を聞いていて一貫してすごく感じたのは、「やろうと思ったら突き進む」ってことです。るみるみさんはずっとそれを徹底してきたんじゃないかって感じました。

そうだね。そうだと思う。

――今日、るみるみさんのお話を聞いて「やろうと思ったら突き進む」ことの重要性に改めて気づかされました。これからもそのことを意識して生きていこうと強く思いました。本日は本当にありがとうございました!

いえいえ。こちらこそありがとうございました。いろいろ頑張ってね!

 

 

猪突猛進。いのしし年として、これからも自分の直感を信じて前へ進み続けたいと思います!!るみるみさん、本当にありがとうございました!

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