
【Sapporo6h】リアルタイムメディアの先駆者が語る【札幌のにおい】
服部さんに初めてお会いしたのは、ちょうど 一か月ほど前。年末のとあるホームパーティーでした。ホームパーティーで出会った方々は、あらゆる分野の最前線で活躍しておられる魅力的な方ばかりでした。しかし、その中でも 明らかに 異色な感性 を醸し出している方がいました。服部さんです。
Sapporo6h とは
近澤 あけましておめでとうございます!
服部 あけましておめでとうございます。
近澤 本日は、お忙しい中 本当にありがとうございます。
服部 いえいえ。

近澤 早速なのですが、今日は、服部さんにお聞きしたいことが大きく3つありまして。その中でも、一番 お聞きしたかったのが、Sapporo6h。この話をはじめて聞いたときに、「うわ、すごっ!」って思ったんですよ。札幌で開催されるイベントの開始 6時間前に、そのイベントの情報を Twitter で発信する っていう。まず、そのコンセプトが面白くて。それで、そもそも 「なぜ、この Sapporo6h を立ち上げようと思ったのか?」その きっかけ が知りたいです。
服部 Sapporo6hを Twitter で立ち上げたのがちょうど、2009年の10月。ぼくが29、30くらいのときで。立ち上げた きっかけは、むかし スーパーで働いてた頃に遡るんですよ。そもそも、ぼく 大学を5年かけてギリギリ卒業して、しかも そこから 一年間 フラフラしていて。それで、地元のスーパーに入ったんですよ。しれっと新卒のふりして。(笑)
まあ、そこで 入ったは良いものの、スーパーでの仕事は想像以上にきつくて。朝5時から 夜は12時まで……。みたいな。毎日そんな生活だった。もともと、音楽が好きで いろんなところに遊びに行ったりしてたんだけど、途端にそういうことができなくなっちゃって。すごく忙しくて、しかも 精神的にも結構きつく……。好きだった 遊びのイベントだったり そういう情報を自分で 見に行くことすらできなくなっちゃった。そういう生活を3、4年続けていく中で、たま~に、「今日は昼であがっていいよ」って言われるときがあってね。でも、あがったは良いんだけど、普段から そういった情報を手に入れようとしてなかったから、何していいか分かんなかった。で、しょうがないから とりあえず デパート行ってみたり本屋行ってみたり……。
そこから、一度 札幌を離れて、東京のレコード会社で働いていたんだけど、2009年にまた札幌に戻ってきて、「なんかやろう」って思ったときに、昔の自分がこんなのあったらいいだろうな と思うものを つくろう。そう思って、Sapporo6h を立ち上げました。毎日 イベントの きっかり6時間前に更新する。リアルタイムに。

近澤 なるほど。ただ、当時って おそらく まだ予約投稿とか無かったですよね?
服部 あ、無かった。最初は。
近澤 ということは、実際に 服部さんが イベントの 6時間前に 手動で打ち込んで 更新していたんですか?
服部 そう。だから、目覚まし時計を 夜中2時、5時、8時とかにセットして、起きて Twitter カタカタ書いて更新して……。でも、それしか やることないですよ。(笑)仕事もしてなかったから。だから、もう自分が何者かも よく分からないまま、勢いで Twitter のアカウント取って……。
近澤 根本的に Sapporo6h は服部さんご自身が これあったらいいな を純粋に実現したものだと。
服部 そうそう。実は 大学生のころから、ぼんやりと そんなことは考えていて。だけど、その当時はまだ ブログなんかも HTML で結構ガッツリやらなきゃいけなかったり、Twitter なんかも もちろんまだ無かった。だから、そのときは 何もできなかった。Twitter が世に出てから しばらくして、たまたま 自分も Twitter に出会った。そのとき「これで行こう」と決めたんです。リアルタイム メディアっていうのを勝手に自称して、とにかくリアルタイムに情報を更新。というのを徹底してました。
近澤 なるほど。Sapporo6h は今年で立ち上げ10周年ということですが、2009年の立ち上げから 実質 何年くらい継続的に活動されてたのですか?
服部 そうですねー、2016年くらいまでは、毎日やってましたね。
近澤 えっ!!すごいですね!!全部 服部さん が自分の手で……?
服部 Twitterに関してはそうですね。ぼくだけで。
様々な仕事を経て

近澤 今日 服部さんにお聞きしたかったことのもう一つは、服部さんの 仕事の変遷 と言いますか。服部さんって、いろんな仕事を経験されているじゃないですか。スーパーから始まり、北海道の旅行会社、東京でのレコード会社。そして、現職へ。そこに 加えて Sapporo6h という……。そのあたりの変遷 のお話を聞きたくて。なかなか、周りにそういう人いないので。(笑)
服部 ははは。(笑)
近澤 今まで 身近で そういう人 見たことなくて。
服部 いや、本当に20代 テキトーだったんですよ。学生時代も。大学行って、最初の方の授業で、周りが誰一人先生の話 聞いてないんですよ。まあ、それはいいんですけど、先生も 誰も話聞いてないのに、淡々としゃべってるんですよ。それ見た瞬間に、「こいつらと仲良くできねー」と。(笑)そっから、ほとんど大学 行かなくなった。でも、音楽はずっとやっていて。もともと、鍵盤だったんですけど、だれか才能あるやつと一緒に組んでやれないかな、と思って ずっと探していたら、ちょうど 地元のミュージシャンで良い人を見つけて。その彼に「一緒にやろう」って 声かけて、そこから一緒に音楽活動をしてた。そういった中で、いろんなアーティストの人とかとも どんどん 仲良くなっていって……。まあ、そんな調子だったから、もちろん将来の設計も全く立ててないし、就活なんて全然やっていなくて、すっげー ふらふら してた。
ただ、一緒に音楽活動してたボーカルが メジャー デビュー することになって。もともと、自分はプレイヤーというよりは、裏方で やりたいと思ってたから、それに関しては「よかった、よかった」と思って、自分の思いはある意味 果たしたなと。じゃあ、普通の仕事 勉強しようと思って、「あ、さすがに就職しよう」って なった。

近澤 そこで、はじめて就活なんですね。(笑)
服部 そう。その就活も、地元のスーパー 1か所だけしか受けなかった。面接のときも、「ここに入りたいから、ここしか受けてません。」と言ったら、担当の人に「ホント?!」って 驚かれて……。結局 受かったんだけど。まあ、首の皮 一枚つながりましたよね、そこで。その後、スーパー に入って数年間 そこで やっていたんですけど、さっきも話したように やっぱり大変で……。そんな中、ちょうど メジャー デビュー したボーカルの彼が 札幌に戻ってきていて、昔のバンドメンバーとかと集まって話していたら、「やっぱり、音楽やりたいな」って思った。
近澤 やはり、服部さんとしても 音楽をやりたいと。
服部 そう。それで、彼が東京に帰るときに「なんか そっちで仕事ない?」って聞いたら、レコード会社を紹介してくれて。そこからは、なぜかトントン拍子 で話が進んで、東京へ。そのレコード会社に就職した。
近澤 えっ!でも、まだ そのときは 服部さん スーパーで働いていたんですよね?
服部 そうだよ!だから、今 考えれば「なんで 俺 を採ってくれたんだろう」って思いますよね。(笑)ただ、結局 2009年にレコード会社の親会社が倒産してしまって、それが きっかけで札幌に帰ってくることに。札幌に帰ってきたタイミングで始めた Sapporo6h を運営していく中で、札幌で着実に名前が売れていって。そして、いろんな知り合いが増えていった。ちょうど、そんなときに 北海道の旅行会社さんから声をかけてもらって、観光業にも携わることに。
近澤 なるほど~。そう考えると、やはり、Sapporo6h の持つ影響力や知名度って ものすごいですね。

服部 うーん。ただ、やっぱり、今思えば 若いころに もっと いろんなこと勉強しとけばよかった って思いますよ。Sapporo6h のことにしても、もっと ちゃんと事業化できてたかもな……。とか思うわけですよ。たとえば、当時は 地域との関わり方も ちゃんと 知らなかったので、とにかく お金を取らないことを誇りにしてたんですよ。逆に、その代わり、おれが選ぶ。おれが見たいイベントを中継する。ということをやっていた。でも、自分のこだわりやプライド は残しつつ、もっとビジネスとして やりようはあったかなと。
近澤 ぼくとしては、起業とかビジネスとか そういう言葉は たくさん ありますけど、一番 大切なことは「本当に自分がやりたいこと」そして、「それが、何なのか?」だと思います。Sapporo6h という形で、ずっと それを貫き続けてきた服部さんがカッコいいと思います。
服部 たしかに、Sapporo6h をやっていく中で、自分と同じような仲間にたくさん 出会えました。そういう仲間たちと ワーワー遊んでたんです。バレンタインの日に、チョコレートをもらう数を競うために 24時間 配信してたり。あと、Sapporo6h の初めての中継企画はクリスマスイブに「勝手にすすきのパトロール」っていう。

近澤 なんですか それ(笑)
服部 すすきの交差点のマックから、ずっと すすきの交差点を生中継で映して カップルを見るっていう。でもね、イブの夜、外にカップルなんていないんですよ。(笑)
近澤 (笑)
服部 あと、中継で一番有名になったのが、雪まつり後の「雪像ぶっ壊し中継」。雪像が壊される瞬間を生中継するっていう。
札幌の良さとは
近澤 最後に、服部さんから見て、札幌の良さとは どこにあるのでしょうか?一度、東京へ行って、それから また札幌に戻ってくる。という経緯の中で、外から見た 札幌の良さ というものは 何なのでしょうか?
服部 一つは、札幌はものを考えるのにちょうど良い。個人的にですけど。
近澤 と言いますと?
服部 頭の中がキレイに整理される。情報の量がちょうど良いんです。東京に居たときに、一度 音楽を聴けなくなっちゃったんですよ。プライベートで。たぶん、情報が多すぎてパンクしちゃったんでしょうね。だから、そのときは パフュームの 同じアルバム 一枚だけ聞いてました。(笑) しかも、同じ曲。延々と。
あとは、客観的なデータとして、札幌には もっと ポテンシャルがあると思う。200万人の都市。これは、たとえば 世界的な都市である パリの人口とほぼ同じです。じゃあ、もっと この都市で やれることあるんじゃないかなと。まだまだ いろんな可能性を秘めていると思います。

札幌というか 北海道って、若い人たちが 何か新しいことを始めよう とすることに対して、上の世代の人たちが それを応援する土台が まだまだ 足りてないような気がします。挑戦している人はたくさんいると思うんですけど、まだ それが ”点” な状態なんですよ。その 点 と 点 が もっと繋がっていって、それが まち全体 の ”におい” として出てきたらいいなと。そして、新しいことに挑戦することを もっと応援できるような 環境 が、ここ札幌で できていけば いいなと思います。