【医療界の異端児!?】医学部から外務省へ…。外交官、そして医師に。~風変わりな経歴を持つ現役医師が語る~【小野江 和之先生】

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 とある飲み会で、何の気なしに声をかけたのが始まりでした。出身中学・高校・大学 が同じであり、大先輩であることが判明した 小野江先生。医学部を卒業後、ロー・スクール(法科大学院)に。その後、外務省へ。外交官としてクーデター直後の中米の国へ赴き、現地では医務官として医療に携わる。現在は、北海道 手稲いなづみ病院にて副院長を務める。とにかく、第一印象はかなり ぶっ飛んだ お医者さん。そんな魅力に溢れた 小野江先生に迫ります。

 


小野江 和之先生
医師、医学博士。
札幌南高校卒、北大医学部卒。1971年生まれ。
手稲いなづみ病院 副院長。
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近澤 先生、本日はよろしくお願い致します!実は、先生に取材できるのをずっと楽しみにしていました!初めて先生にお会いした時の衝撃が忘れられず、一度ちゃんとした場を設けて、先生のお話しをじっくりお聞きしたいと思っていました。「こんなぶっ飛んだお医者さんいるんだっ!」というのが、正直な僕の第一印象でした。(笑)

小野江先生 医者って、当然だけど、基本的には”医師免許”という資格を活かして生きていくわけでしょ。具体的には、大学に残って偉くなる……。とか、臨床でバリバリやる……。とか、研究者だ……。とか、いくつかわかりやすい形があると思うんだけど、そういう意味では たしかに、ぼくはかなり「脱線組」。(笑) それで、ぼくの周りに集まってくる友人も そういう意味で 割と変わってる人が多いね。結構、変な奴扱いされることが多いんだけど、中には「お、お前面白いじゃん。」って言ってくれる人もいて。そうすると、自然と似た者同士が集まってくるよね。

まあ、そうは言っても、昔はぼくも医局に所属していて、医局人事に沿って動いてた。とくに、ぼくの家系は、祖父、父親と代々 北海道大学医学部の基礎研究の教授だったから、当然 周りからも 僕も大学に残って基礎研究の教授になることが望まれていたわけで。当時 教授にお前は大学院へ進めと言われ、それに抗うこともできず、そのまま大学院に入って、研究生活を数年間送った……。それが 自分が本当にやりたかったことではなかったんだろうね、今にして思えば。でも、そのときの経験があるからこその 今の自分ではあるんだけれど。

近澤 先生自身、そのような 代々 医学部の教授という家系の中で、もともと医者になろう、医学部へ進学しようという思いはあったのですか?

小野江先生 父親としては、やっぱり息子である ぼくにも同じ道を歩んでほしいという気持ちはあったみたい。だけど、当時 高校生だった自分が受験生のときは、医学部へ行こうという気持ちはあんまり強くなくて、むしろ他の領域に目がいっていた。「医者とか知らんし」みたいな。けど、そうはいっても心の片隅では 親の気持ちもなんとなく分かる自分もいて……。最終的には、なにかこう、すさまじく消極的に医者という選択肢を選んだ。今は全く後悔してないけど、当時はそんな感じだった。

でも、実際に学生生活を終えて、実際に臨床の現場に出たときはビックリしたよね。自分の父親はずっと大学の研究棟で、マウスを使って実験しているような人だったから、自然と「これがお医者さん」とか勝手に思ってたわけ……。「なんだ?この夜中の3時に叩き起こされて患者さんの心臓マッサージしてる俺は」とか思うわけよ。研修医のときなんかは。「聞いてねーよ」っていう。(笑)

近澤 (笑)

小野江先生 まあ、それを言うなら、それくらい学生の6年間の間に気づけよ、って感じなんだけども。なんか、学生のときは、ぼよよ~んって生きてて。なんとな~く生きてた。医者ってもののイメージを全くつかめないまま医者になってしまったんだよね。

医学部からロー・スクールへ

それでも一応 ちゃんと医師にはなって、医学部を卒業後の8年間は北大の医局に所属し、その後、愛知医科大学で3年間、医師としてのキャリアを進めた。そうした一方で、当時、周りで理不尽な医療紛争なども多く目の当たりにするようになった。自分自身も医療関連のトラブルに関わることもあったし ……。それで、「やってられっか!」みたいな。だれかがまとめて喧嘩買わねば。と思って、ちょうど35歳のとき、ロー・スクールへ行くことを決意した。あとは、やっぱり、医者と弁護士ってお互い分かり合えてない部分が大きい。だって、お互い相手のことについては半分以上 素人なわけじゃん。「だったら、両方ちゃんと分かる人がいたらいいな」と思って、「じゃあ、俺がなろう。」と……。

近澤 先生がロー・スクールへ入られたタイミングが ちょうど35歳のとき、というのはなぜなのでしょうか?やはり、ある程度、医師としてのキャリアをしっかり積んでから……。ということなのでしょうか?

小野江先生 うん。そうだね。たとえば 今、医者で弁護士やってる人って、初期研修終えてすぐに弁護士の道に行っちゃうひとが多いみたいだよね。とにかく、かなり若い段階で。でも、それって資格の有無はともかくとして「医者」って言っていいのか?ってこと現場で働いている医者が果たして共感できるのか? 彼らが「おれの戦友だ」と思えるかどうか。そういう意味で、ぼくは、自分自身もある程度 医者としての苦労を知っているから、彼らの思いや気持ちも理解できる。自分の存在意義はそこにあるんじゃないか?と思ったんだよね。

近澤 先生が、ロー・スクールを卒業後、外務省へ入られた経緯はどのようなものだったのでしょうか?

小野江先生 ぼくが、外務省へ行ったきっかけは、単に高校時代の同期の紹介に過ぎなかったんだよね。彼の父親がちょうど外務省で医務官をやっていたらしく「こんな仕事があるよ、応募すれば?」って言われて、「じゃあ、ちょっと応募してみよう」と思って、履歴書を送って面接を受けに行ったら、受かった。それで、約2年間、中米の国 ”ホンジュラス”の大使館に 医務官として赴任することに。ちょうど赴任直前にクーデターが起こった国にね……。(笑)

近澤 実際、”医務官”というのは具体的にどのようなものなのでしょう?全く想像つかないです。

小野江先生 簡単に言うと、保健室の先生。大使館の。ただ、保健室と違うのは ちゃんと医薬品が揃っている。医薬品は本国から買ってくるんだけど、その予算配分は僕らが決めていいんだよね。ぼくの前任者の先生は精神科の先生だったみたいで、多種多様な”抗不安薬”が買い揃えられてた。だれがこんなに使い分けるんだよってくらい。(笑) ぼくは、その国は大気汚染がひどかったから、子どもなんかは特にぜんそくにかかりやすいということで、それに対する薬をたくさん買った。実は、ほとんどの薬品は使われることなく、消費期限が来て破棄されちゃうんだよね。でも、実際は 値段が安いものを沢山仕入れるようなやり方が目立っていた。だから、本当に使うべき薬はお金に糸目をつけず たくさん買ったんだ。あとは、保健室の先生だけじゃなくて、主要な病院を訪問してそこの病院長と会談したり近隣の国に巡回診療で出張したり、現地の医療情報などを収集して 本国に報告する、なんてこともやってた。あそこのHPの文章、たしかまだ僕が書いた部分残ってた筈だよ。(笑)

今の医学生に向けて

近澤 先生は、いわゆる一般的な医者が普通 経験し得ないようなことを経験されてきたと思うのですが、そんな先生から僕たち医学生に何かアドバイスをいただけないでしょうか?

小野江先生 ぼくは、その時その時で自分のやりたいことをやってきて、ある意味、流れにのって、ふらふら~っ、ふわふわ~っとしてきたんだけど……。その一方で、だからこそ気づけたこともたくさんあった。愛知医大での3年間では、道外から北海道を見る機会を得た。次に、ロー・スクール時代は業界外から医療業界を見た。そして、外務省時代は国外から日本を見ることになる。このように、外から中を見るという経験を何度か繰り返すうちに、自分自身を客観視するという機会を多く得た。たしかに、他の人からすると、「お前、なに無駄なことしてるの?」とか「なに回り道してんの?」って思われることも多い。でも、医局に残り、そのまま医局人事に乗っかって、医者の狭い世界だけで生きていたら、とても気づけなかったことは多いと思う。

だから、自分とは違うことやっている人だとしても、すぐに否定したりするのではなく、とにかく いろんな人の話をとりあえず聞いてみる。そして、自分以外のジャンルや業界の人たちに少しでも思いを馳せる気持ちは持っておくべき。それは、決して自分自身の本業をないがしろにしろ、ということではなくて、何をやるのでも、まず 自分の本業において最低限のラインを超えることは必要。さっきも少し触れたけど、たとえば、医者で弁護士やるにも、医学部卒業してすぐに弁護士の世界へ……。というのでは、医者としての最低限のライン=求められている技量、レベルを満たしていないよね。どっちつかずというか。とにかく、どんなことも ”やる”と決めたら きっちり やるべきだと思う。

でも、これが実は一番大事なことだと思うんだけど、どんなに賢くて 器用でも、根っこの部分が悪い人はだめなんです。じーっと見てると透けてみえちゃう、見透かされちゃう。まず、良い人であろうとするべき。悪いことはしちゃだめだね。あくまでも その上で、自分がやりたいことをやれる状況を しっかりと確保できるよう努力する、ということが大切なんじゃないかなあ。

近澤 先生のご経験なさってきたことを聞くだけでも大いに勉強になります。そして、様々な経験をなさってきた中でも、根底には 常に医師としての”あり方” というものを追求し続ける先生の姿が感じられました。そんな先生のお話は、僕たち医学生のみならず、現在、医師としてご活躍されている先生方にとっても、大変 勉強になるはずです。一人でも多くの医学生、医師の方に先生のお話を聞いてもらいたいです。

先生、本日は本当にありがとうございました!

 

医師としての魅力的な生き方はもちろんのこと、多彩な才能と魅力に溢れた先生です。

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